言い得て妙だ

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やむをえず、人をあやめてしまった人の苦悩。
子供を亡くした人の苦痛。
夫に裏切られた人の悲しみ。
隠れて借金をせざるをえなくなった人の事情。
家族間における、積もり積もった鬱積。
恋人に裏切られた恨み。
人間関係の陰惨な縺れ(もつれ)。

映画や小説、ドラマのテーマとしては、取り上げられ繰り広げられているが、
実生活にそういうことを抱えている渦中の人は、リアルなテーマからは目をそらすだろう。

深すぎる悩みには、もはや自分では解決できないこともあるし、
こころの病気にも発展しかねないし、
一人で苦しまないで、専門家の手を借りて対処されるのも突破口となるだろう。


そんな大きくない、誰にでもある日常のこころの悩み
そういったものは、生活の一部であって、取り除くことはできないと思う。
人が人として生活している限り、大なり小なり、誰もが抱えるものだ。

悶々と出口のない悩みに振り回され、
自分を見つめ直し過ぎて、かえって自分を見失うこともある。
同じ悩みを持ち、苦悩を分かち合える人と接し、痛みを和らげ合う、
克服した人の経験を参考に、解決の見本とする。
それも、いいだろう。

自分の悩みにどう立ち向かうか?

私の場合は、書籍、書物だった。
多くの素晴らしい人々が、なんの紹介もアポも、手土産も要らず、
解決のノウハウを教えてくれる。
読み手側の理解が遅くても、即座の反応も答えも要求されない。
書物は、いつまでも、じっと待ってくれる。
そのうち、忘れちゃったりする。

私のブログをご覧になる方は、大きな悩みは抱えておられないように思う。
シリアスな状況の人は、何も手につかないことが多いし、
小さなトゲがささった人は、私のブログは逆効果かも。

人間には多少の毒を持っていないと、毒に対処できない。
抗体みたいなものだ。
少しの毒は、ぴりっとするが、攻撃性のある毒は困る。


西洋医学に頼り切らず、漢方など、東洋で永く用いられている癒しの処方、
治癒能力を自分の力で培うのもアリかな、と最近は思う。

音楽や、好きなことに没頭したり、そうやって、こころの洗濯をする。
再生に向けて、自助努力をあれこれ試みる。



こころの底には根付い

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もう、何代も前から町で暮らしていると、田舎(地方出身)意識はない。
町流儀、自分たち流儀で、ことを行えばいいが、
田舎は、その地域の風習、慣習、流儀、やり方があり、
その通りでないと、「あのやり方は、間違って鑽石能量水 消委會いる」とかなんとか、非難の的になる。
「ほっといてくれ」というような人は、田舎には住んでいない。とっくに、町に出ている。

町に出られない事情の人は、やむなく田舎に住み続け、自分も嫌だけど無理やり頑張ってやっているんだから、
他の住民や親戚にも、自分と同じような流儀でやらせようとする。
町から、出て行った人は、涼しい顔で、
「よう、やってんなあ、そんな(無意味な疲れる)こと。お金と時間と労力、ご苦労様」みたいに、
自分は逃れられて、部外者になって、その選択は間違って寫字樓搬運なかったように言う。

時代は変わり、インターネットの時代には、流行もデモ情報も、同時に流れる。
価値観も氾濫する。


当地に住んでいない人間が、当地の風習に従わないと、
「こっちに住んでいないからね」と、冷やや願景村 退款かな目で見られる。
当地に住まないのは、気に入らないからだろうと推測される。
その推測は当たっているのだが。
郷に入れば、郷に従え。それが嫌なら、郷に入るな。

住みたくないが、維持もしたい。
ものすごく遠方地なら家を処分するのも、やむをえないだろうが、
そう遠くない場合は、よっぽどのことでもない限り、売ったりしない。
たとえ、売ったとしても、二束三文、市場価値は、雀の涙で、限りなく低い。
先祖代々済み続けていた当家の人たちだけにとって、価値がある土地である。
他人には、なんの値打ちもない。

移民文化の民族には理解できないことだろう。
日本のように、土着農民スピリッツが、まだまだ延々と地方のあちこちには根付いている民、
特に、農民の、農地に対する思いは、重い。
生まれ育った土地を大切にする精神は、次世代である若い世代にも受け継がれている。
(震災で故郷を離れざるをえなかった人々の苦悩は、推して知るべし)

土地だけでなく、家も。
house(ハード面)ではなく、家制度のイエ。
とっくにそういう制度は、民法では廃止、消滅しているものの、
まだまだ長男が跡継ぎで、家督がどうの???と、ているようだ。
たいした家柄ではなくとも、代々、継続させるというだけでも、目に見えない苦労がある。

日系2世や3世の人々は、外地の暮らしをし、外地の言語を話し、
ルーツは日本であるということには違いないが、日本で暮らす日本人とは、一線を画す。
ルーツだけを語り聞かされ外地で育つのと、
実際に、ありありと心物両面、物証が息づき物語る暮らしをするのとでは、臨場感、リアリティ、影響の濃度が違う。





パラパラとサンドイッ

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ラオス?ビエンチャンからは、定員60人ぐらいのプロペラ機。
スリル満点。
あるイタリア系?カップルは、最初から最後まで、女性が、男性に抱きついて、
震えたまま、頭を上げなかった。
いつものことなのか、彼は、彼女を抱えたまんま、上手に種牙本を読んでいたが、
食事はさすがに、無理のようだった。
彼女の頭を抱えたままでは、頭の上に、チの粉やら具やらが落ちては、
ちょっと気が引けるだろうし。

私は????ガタガタ音と共に揺れる機内、抱きつく彼氏もおらず、
出発直前に済ませた(おつとめした)、お盆行事で、覚えたての御経を唱えていた。
お経もこういう時には、役に立つ。(→またもや、バチ当たり)


それはそれとして、
日本の皆にラオスを、もっともっと広く知っていただきたい。
(本日は、余裕なく、かなりの唐突な結びになinvisalignっている???)
忙しい時に、ブログを更新しようという、その心根、
はっきり言って、間違ってます。
あと2分しか時間がありません。

なのに。
更新しようなんて???。
明らかに、厚かましい。

中途半端で、ナメとんか?!と、お叱りを受けそうです。

夏のイレギュラー3部作、その1
お盆行事が本日終了した。
さきほど、婚家から帰宅したばかり。

話せば長いことながら???
今回のお盆は、重かった。
とても、重くて、こんなに短い時間では、
心の整理もできないまま、文字に買樓收租するのは躊躇(ためら)われる。
全部、夏の予定が終了して落ち着いたら、また、したためたいと思う。
自分の心の中の大きな節目になるかも知れない。

他県に住む息子が今夜、婚家に帰ってきた。
お盆だからだろうけれど、律義なお方。
それで、車に乗せて、我が家まで連れて帰ってきた。
明日には、東京の娘も帰省する。
ああ忙し。

ついでのついでに、腰痛発症。
旅行前にまた、
なんで、こんな時に???。




こんなんじゃあ

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逆のパターンはある。
尽くされるほうが、うまくいくことが多い。
尽くしても、相手をつけあがらせるだけだ。
高飛車、大きな態度に出たほうがいい。
(あくまでも、わたしの場合。わたしは、受身でおとな染髮焗油しいので、なめられる傾向がある)

ど演歌の歌詞で、「尽くして、捨てられて」「いまでも、あなたを愛してる」「あなたを忘れない、忘れられない」
などというのがあるが、
あれは、男性が幻想、幻影を抱いて、実際にはありえないことをわかって、確信犯で作詞しているのだろう。
そんな女性は、見たこともないし、知っている人にはひとりもいない。
男性のほうが、いつまでも、女々しく、捨てられ銅鑼灣 髮型屋た女性のことをぐじゅぐじゅ思い続ける。
たいがい、堪忍袋の尾が切れて、男性を捨てるのは、女性だから。
女性は、見切りが早い。だめなものは、だめ。あんた、だめ。はい、次。
もちろん、男性に捨てられる女性もいるが、、捨てられても仕方ないというパターンが多い。


で、どんどん話は、それているが???

つまり、見かけが少々気に入らなくても、上記の条件を満たしていると、付き合うということだ。
付き合うイコール好きになる、とは、また違ips 整容うのだが。

見かけがよくない、見かけのせいで、異性にモテない人は、中身や行動で、頑張る。
(才能があっても努力しないと大成しないが、そこそこの資質でも、熱意と努力で、花を咲かせるのと同じ)
なので、付き合うと、見かけがいい人より、ずっと努力家である。
ワケありセールで、本来は高価なのだが、割安で出ている、蚤の市で見つけた高級品みたいなかんじで、気に入れば、お得だ。


知らず知らずのうちに、自分が不幸にならないタイプを選んでいる。

あ、関係ないけれど、
わたしより歌が下手な人でもオッケー。(わたしも、かなりオンチだが)

どちらかというと、スポーツ選手や芸能人より、
政治家や実業家、コメンテイター、記者、作家、教授系のほうが好き。
芸術系や哲学系、クリエーター系は、オプション。

どうぞご勝手に!と言われそうだ。

夫にする人は、自分より能力が上の人を望んだ。
子供への遺伝子も考えた。
夫選びの基準にも、わたしのサボり精神、手抜き根性が色濃く現れている。


わたしの親の世代は、頑張り世代だ。
戦前派、戦中派が多いと思う。
なので、とても忍耐強く、よく働く。そして厳しい。
そんな親と比べると、一世代若い我々は、頑張りが劣る。
なので、夫は、わたしの父親に比べると、劣る。
わたしは、夫の母親に比べると劣る。
まあ、しかたない。
どっちも、そんな立派な親と比べて、配偶者に幻滅したりしても、しかたない。
自分が、甘いんだから。
甘く育つことができて、時代に感謝しなければ。



あるグに入ってリタイア

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蝶ブログの最近の小さな、ちょこっとした変化。

先月のパリ日記のときに、がくんと閲覧数瑪姬美容 去印が減少し、帰国してから回復。
さらにその後、これまでより増えた。
つまり、ブログ開設以来(7年目)、今がピークになっている。
不思議。
(じつに、かわいく、ささやかな数字ですが)

ブログ村の「エッセイ」カテゴリーで、パリ行きの前は、アップすれば、だいたい人気記事に入っていたが、
今は、ゼロ。
代わりに、「50代の生き方」の人気記事に入る詩琳美容ようになった。
不思議。
以前は、50代人気記事からは、見向きもされなかったのに。
(といっても、大勢[たいせい]には全く影響のない、隅っこのところのものですが)



男性に好まれるものと、女性に好まれるものは違うように感じる。
ブログ村「エッセー」は、男性好みのものが上位ランキングに入っている。
年齢はとらわれないが、時間に余裕のあるリタイア年代が主な書き手、読み手だろう。
男性には、社会に開かれた内容のものが好まれるように思う。
政治経済、時事、文化歴史、客観的描写の旅???。
当然、例外もあるが。
逆に、心情や愚痴など、自分のことばかり書い詩琳美容ている、内向きの私的なものは、女性には読まれる傾向にある。

書き方や表現もさることながら、ブログ内容に左右される。
自分と同じ境遇、同じ思い、みたいな内容か、あるいは、まったく別世界のような内容。
両極端に二分化されるのでは?


ちょっと宗教がかった、カリスマ的なブログもある。
○○教、教祖様。
信者が読む。
わたしは、この手のものは、ニオイが嫌いなので、パス。

書きにくいことをビシバシ?ズバズバ書いているものも、突き抜けていて、ある意味、気持ちいい。
いわゆる、毒吐き。
ただし、人間性や人格を疑われることにもなりかねない。
読み続けると、毒を吐いている人から毒が抜け、知らない間に毒が読み手に溜まってくるのは副作用か。
一時期、私も毒吐き時期があり、読まれる方には解毒剤をオススメしていた。


まともな生活をしていなさそうなブロガーさんのブログは、わたしは読まない。
が、哲学系だとか、悶々と何かを追求しておられるものは、
生活はまともではなくても、内容としては面白い場合がある。
狂気系は、NG。



ひとそれぞれ

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日頃は、個々に活動、成り立っていても、
一致団結する場合もあるし、お互いが歯車になる場合もある。
いがみ合い、憎しみ合っているケースもある。

人の人生が、自分の人生に、めり込んでくる。覆いかぶさってくる。
自分の人生が、人の人生に、圧し掛かる。
お互い、助け合って生きているが、調整が難しい。

???

友人や仲間は、個々の人生同士、少し距離があり、うまいぐあいに関わると、負担が少なく良い効果を得られる。
が、家族は、濃厚。その分、絆も強い。
配偶者は変えられるが、親子は組み合わせをフレキシブルに変えることは出来ない。
最近は遺伝子検査で、親子でないことが発覚することもあるが、
普通に暮らしていたら、親子ではないのでは?と本気で感じないはず。
なぜ、真剣にDNA疑問を抱くのか? 検査を行うプロセスこそ、正常ではないと感じる。
実際に親子でないことが判明した場合、悪い結果ではあるものの、もやもやは解消されるだろうが、
親子であることが判明した場合、よけい、もやもやが増長して、悩みが深まる一方だと思われる。

???

が、あまり血に頼ると、おどろおどろしいことに、なりかねない。
血液は、さらさらのほうが、よい。
(さらさらには、玉ねぎが、いいそうだ)

???

なんの話だった?
あ、そうそう、「いつでも出来る」は、「いつまでも出来ない」の話。
ひとそれぞれという、話。

なんでもかんでも、ひとそれぞれ。
それじゃあ、話にならない。ポエム。

わたしは、めんどくさい場合、という。
反論があった場合、対処するのがめんどくさい。
「で、あなたは、そうなんですね。わたしは、こうなんです。あら、ひとそれぞれですね」
と、追及から逃げている。



ペンチでそっ

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やっと逢坂山を下りきり、滋賀県へ入りました。相変わらずのトロトロ運転でしたが、少しずつ渋滞は解消し、家に着いたのが朝の4時。
もうヘトヘトですよ。
息子の膀胱は破裂寸前でした。

備えあれば憂いなし、と、ちゃーんとスタッド救世軍卜維廉中學レス履いてても、迷惑な奴らのためにヒドイ目に合い、「ノーマルで乗り捨てた奴らに天罰を!」と元旦から怒りまくりの年明けとなったのでした…。

朝晩がめっきり寒くなりました。
9月から続いていた私のカボチャ熱は、世の中がハロウィンでヒートアップする前に
すっかり冷めてしまい、冷凍室のカボチャペーストは冷凍焼けしてカピカピに
なりつつあります。

代わりに11月は銀杏拾いに明け暮れ、あちこち拾いに行ってバケツに漬け込んで
外皮をふやかしてゴム手袋で剥いて乾能量水かして、という鼻が曲がりそうなクッサーい
作業を週末の休みの度に行っておりました。
ガレージで水を流しながらやってたもんで、道ゆく人は「何この匂い!」と
必ず顔をしかめて通り、住宅密集地では近所迷惑甚だしい。
しかもゴム手袋を外しても手がまだクサイ。お風呂入っても爪の先がまだまだクサイ。
恐るべし銀杏臭!!

で、ようやく乾いた11月の月末に、と皮を割り、実を古封筒に入れ、
塩もひとつまみ入れ、レンジで1分。ポンポンと跳能量水ねる音がすれば出来上がり。
翡翠色の熱々の銀杏はチョーうまい!!




こんなことに明け暮れてたもんで、11月のエッセイは すっ飛ばしてしまいました、
ゴメンナサイ(言い訳)。

さて話は変わりますが、先日 聴覚障がい者のかたとお話しする機会がありました。
そのかたは補聴器をつけておられるので少しは聞こえ、手話と口話(唇の動きを読み取る)
で話をされるかたなのですが、私に「はっきりと口をあけてゆっくり話をしてほしい」
と言われました。



リアルでも顔を知ってい

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???

???そういう、どうでもいいことをごたごた、ごにょご如新nuskin香港にょ書き続けると、
多くの人は、去っていくのだろう???。
新生スロー。

自分は新しくなったつもりで、前によく見に行っていたブログをちょろちょろ訪れて見る。
みなさんは、変わっておられない。
あたりまえ。

でも、なかには、「ブログやめちゃおうかな~」、なん如新香港て弱音?を吐くブロガーさんがいて、
「こらこら。やめちゃいけませんよ」、と、母親になった気持ちで、こころのなかで叱咤激励する。
手ごたえがないと思っておられることだろうが、そうでもない。
多くのふわふわした不特定多数の不確かなものより、少数でもいいから、確かなもののほうが良い場合もある。
試行錯誤して、自分の気に入るようにしてくださいな。

自分のことが忙しくて、ブログを書く暇もないのに、人のブロnuskin如新グを訪れる余裕は、とんとない。
が、まあ、どうしているかな?と、気にはなる。

???

蝶ブログは、テーマがほぼ限定されている。
ある一定の枠内でおさまっている。
リアルを基にした等身大の自分の思いだ。

この蝶ブログ以外に書いている、別テーマの日記もある。
これは、リアル生活とはまた別次元の趣味の集まり。
めったには、書かないのだが、話題によっては、けっこう、みなさんの興味を引く。
つまり、手ごたえがあるというわけだ。
しかし、小まめにコメントを返すのが、楽しいような忙しないような、
時間が取れなくて出来ないときは、気になり、焦るような。
なので、蝶ブログは、わたしの言いたい放題、言いっぱなしの一方通行が、とても気持ちいい。
自己チューは、ある意味、快感である。

コメントをいろいろ頂戴するその日記は、る人が、うようよいるので、
あまり、浅はかなことは書けない。
そして、反応が、速くて敏感すぎて、遊びのないハンドルのようで、
いつもいつも気にしなけばならないのが、ちょっとマイナス点。
反応が少ないと、それはそれでまた気落ちするし???。
なので、どっちも、どっちということだ。

???

わたしは、自分の思いを書くのが大好き。
ストレス解消になる。
ぺちゃくちゃおしゃべりが大好きなのと同じだ。



従うだけだったが

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自分でデザインしたい。

さて、ここにきて。
幽体離脱の魂が、ちょっと模様替えされ、リフレッシDR Max好唔好ュされ、リフォーム、リノベされ、グランドオープン。
元の操り人形の体に収まることになりそうだ。

操り人形を操っている操縦士も、別人にチェンジ、入れ替わった。
自分で操ることになった。(誰の許DR Max好唔好可も取っていないが)
監督、主演、脚本も、ひとりでどれもこれも、みたいなかんじか。
プロデュ-サーも兼任、さらに、映画会社の社長と、スポンサーも兼任。
つまり、ぜんぶだ。

とうてい、一人ではできるわけもなく、そのうちのひDR Max好唔好とつの役割さえも、ろくすっぽできないと思う。
まあ、気分的なものである。
気持ちが、受動態から能動態に変わった。
考えが、主客、入れ替わった。
あくまでも、精神的なものであるが。
自分ができない部分は、外注ブレーンを確保して、お願いすることにした。


やっていることは、以前とそう変わらないのであるが。
命令され、発注され、受注するのが、今までなら、はいはいと、
今は、自分で、立案、発注、受注を一人でやっている。
報酬額も自分で決めている。
とまあ、これは、あくまでもイメージ図であるが。

今までは、流れの一端にいたが、全体の流れが見えてきた。
どの部分に自分がいるか、というのもわかった。
あとは、自分はどうしたいか、と、的を絞って、動くだけである。
ぴたっと動かなくなることも考えられる。
まあ、それは、そのとき輪證

同じ風景、光景でも、内側から見るのと、外側から見るのとでは、
そして、全体から見るのと、部分だけ見るのとでは、見え方は違う。

じつに、おもしろいものである。







んわり優しそう

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製本にあたり、データ化調整に取り組んでいる。
(自分のためだけに、1部だけ製本)
公開されたブログ記事に並び、「ボツ」というタイトルをつけられた非公開の記事もある。

公開された記事と、途中までは同じ。
途中から、自主規制で、毒吐き内容を削除してアップしていた。
削除された内容が、後半に消されずにくっついているのが、「ボツ」のほう。

その毒吐きの部分を読んで、自分の毒にやられた。
解毒剤は、なさそう。
非常に内臓が七転八倒して苦しんでいる。

唯一の救いは、その記事をアップしていないこと。
さすがに自分でも気が引けたのだろう、

5年前の自分の悩みは、よく覚えているが、それをどうにか通過して今日がある。
自分なりの対決、決闘が行われた。
ちょっと懐かしいような気さえする、自分の毒である。
が、その毒は強烈で、まだまだ強く、けっこうあとをひく。
わたしって、一見、ふだけど、内面は、えげつない人物なんだ~と自分で再認識した。
自分の毒に自分がやられるぐらいだから、相当だ。

容赦なく自他ともに、切り落す。一刀両断。
非情とも思えるクールさで、斬って捨てる。

優柔不断だと自覚していたが、一旦、覚悟を決めると、あとは流れが速いように思う。

熱い血も流れているのだが、ラテン系の陽気なノリノリではなく、
斬ってみたら、熱い血が、どくっどくっと流れていた、みたいなかんじ。