しばらくここをお願

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ナナ、シュラに効果的な武器ってないの?」
「ない」
 あっさり即答されたマイは、それでも少しは期待していた。
「元々ヒドランジアはイオナ、この星の光の女神と雀巢奶粉同じだから、ヒドラボールしかないんだ。武器となるものはこの星に着いた時、全て消失してしまった」
「この星に着いたって、ナナはこの星の生まれじゃあないの? 先住民族『ヨミ族』のメシアだって言っていたじゃあない?」
「メシナとは、決まって『天より降りてくる』ものさ、あの時この星に降りた私をムシビトたちが『メシア(救世主)』とかってに呼んだだけの事さ」
「あの時?」

「メシナは彼方からムシビトの出す生体エネルギーに誘導され、この星に母乳餵哺着いた。その地はモンゴルだったと聞いている」

 ー火の玉は、静かに開いた。中にいたのは緑の髪の「少女」だった。モンゴルの人々は「少女」と思ったが、それは生き物ではない。ゴラゾム細胞をまとった『インセクトロイド』つまり『サクヤ』だった。モンゴルに着いた「レムリア」は「異界」に消えてしまっていた。そして「シュラ」は母乳餵哺ラグナによってアガルタの海底深くに沈められていた。サクヤのAIはシュラを感知できなかった。当時はまだ次元の谷の時の流れも緩やかだったため「サクヤ」は谷をフルパワーで超えた。そしてヨミの花園に降り立つ、しかしそこでも「ムシビトたち」の生体反応しかない。「ラグナ・ノア」のマユは完全にシュラを包み込んでいた。そしてサクヤのAIは「任務」はもう「履行不可能」と判断し、自己消滅をする。しかし全て消えたのではないー

「万一の事態を考え、サクヤのAIは『シュラ破壊の機能』を分割し、後の『レムリア王国』に留めたのだ」
「それが『龍刀』なの?」
「そうとも、『白龍刀』、『黒龍刀』そして『万龍刀』別名『バジェスの剣』さ」
「じゃあ、マンジュリカーナの持つ『七龍刀』はサクヤが残したものではないの」
「七龍刀については詳しく知らない。サクヤは三振りの『龍刀』と最後にAIに残る、カグマの意志を集めて私を残し消滅した。私をナナと呼んでいるが、正しくは『ヒドラ』という」
「なんだか、怖そうな名前ね」
「まあそれもムシビトの言葉では『ヒドランジアーナ』というのだがな」

 マイはナナの説明を聞き、諦めに似た言葉を発した。
「サクヤはとっくに地球に到着し、そしてすでに消滅していたなんて……」



は政府に対する意見書

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在日米国商工会議所(ACCJで)「JAグループは実質的に不特定多数に販売できる規制を利用して金融事業を拡大させてきた」とし、さらに「金融庁規制下にある保険会社は生損保兼営が禁止されmask house 面膜ているが、JA共済にはこれが認められている」と指摘。

「このような緩い規制環境に置かれたJAグループの金融事業はすでに日本の保険市場において大きなシェアを占めている」「JA共済は保有契約件数で見ると日本の生命保険会社として第3位の規模を持ち、生命保険収入でのシェアは10%に及ぶ」と非難しています。

 そして「逆に、自己改革案の中にはJAグループの金融事業の更なる肥大化が散見される。准組合員の拡大が進む恐れがある」と述べ、日本政府の規制改革実施計画高血壓中醫で准組合員の利用制限が検討されていることについて「歓迎する」としています。

つまりこの問題は、日本の農村を日米大企業の草刈り場にmask house 面膜するのか、助け合いを基礎とした地域コミュニティを守るのかが問われていると言えるでしょう。

 有名な話ですが、オーストラリアの小麦の農協AWBは、農家が株主となって株式会社化しましたが、その後カナダの肥料会社アグリウムに買収され、その1カ月後には米国資本の穀物メジャー、カーギル社に売り払われました。

 これはつまり、JAのシェアを俺たちにもよこせ、と圧力をかけているわけです。
 農水委員会で私が「今後5年間で株式会社化が進まなくても問題にしないのか」と聞いたところ、林大臣はハッキリと「おっしゃる通り(問題にしない)」と明言しました。ここはしっかり記憶しておきたいところです。



日本人の頭の中では

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ギャグとジョークは、
ギャグは、『瞬間の笑いの言葉』であり、
ジョークは、小咄のように誰かが思いつき、
笑いを共有したいところから生まれる『笑い話』と考えるのが良さそうだ。
それで当て嵌めて廣州長隆みると、
「おやじギャグ」は、笑いを共有するなんてものではない。そう考えると、
「ジョーク」と「ギャグ」は、笑いの質で無意識のうちに区別しているようだ。


「縁日に行くと『のぞきからくり』というものがあった」
と話す老人の昔語りを聞き、遠い昔に思いを馳せたことがあった。

『のぞきからくり』とは、
「からくり、からくり、からくりバッタン」という口上をはさみ、
興味をそそるような唄いで物語が展開していく箱形の装置だったそうだが、
「おもしろかった?」と聞日本人の頭の中では
けば、「さほど」
と素っ気ない返事が返って来た。
『のぞきからくり』は、17世紀頃には、すでにあり大正時代頃まではあったようだ。
それに取って代わったのが、映画の原型となる装置であるキネトスコープ(Kinetoscope)。

ギャグは、もともとの意味は、猿轡(さるぐつわ)という意味。
劇場などで観客がザワザワして私語をしたり落ち着かない時に、
颯爽と登壇する者があらわれ、
観客の歓心搬屋をひき、
一言で、流れを変えて観劇する心構えをつくる。

その一発芸の役割が「ギャグを飛ばす」の語源的意味であるようだ。
すなわち、観客の口に猿轡をはめることを意味する。
そう言えば、近ごろの大臣と呼ばれる政治家。
「ギャグの名手」。

一言で、周りを凍りつかせる言葉の使い手。
その言葉 (ギャグ) のために辞めた大臣も続いている。
猿轡(ギャグ)が必要なのは、政治家の口のようだ。



経済協力開

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BLI(Better Life Index=より良い暮らし指標)なるモノを
発表し始めた。
いわゆる幸福度を測る指標。
その指標には、調査項目が幾つかあり、総合的に評価して順位が決定される。
22日に発表された所釜山自由行によると、
日本は36カ国中21位だったそうだ。
トップは昨年に続きオーストラリア。ノルウェー、アメリカと続いた。

そう言えば、新興国が経済発展し、
さぞや、その国は豊かになっただろうと思っているが、
インドなどには、豊かになってはいないと、否定的な意見が多いとも言われる。
急速度に経済が発展しているのに、
否定的な意見が多いのは、何か奇異な感じがする。
そのことは、いつの間にか、我々は経済発展が豊かさをもたらすという
固定観念を「常識」として身につけてしまっていることに起因しているようだ。

ふと、小泉八雲 (ラフカディオ・ハーン) の小説
『常識』を思い浮かべてしまった。
その小説のあらすじを花東旅遊紹介すると、

「ある寺の和尚のところに夜な夜な普賢菩薩(ふげんぼさつ) が姿を現すという。
それを聞いて、和尚と親しい猟師が訪ねる。
毎晩、和尚と一緒に菩薩を迎えているという寺の小僧の言葉に、かえって、
疑問を抱く。
その夜、猟師が和尚たちとともにいたところ、
燦然(さんぜん)と光り輝く普賢菩薩が姿をあらわした。
圧倒されるばかりの威光があたりを包む。
突然、猟師が立ち上がり菩薩に矢を射掛けた。
その瞬間、悲鳴とともに光も菩薩の姿も消えた。
和尚は半狂乱になって猟師を罵(ののし)る。
そこで、猟師は訥々(とつとつ) と語りはじめた。
「徳の高い和尚が仏を見ることが出来るのはわかる。
ところが、小僧や殺生を生業とする猟師の自分にまで姿が見えるとはおかしい。
仏を騙(かた)り、和尚の生命を狙った化け物の仕業ではないか。」
と言って和尚を諫(いさ)め、翌日様子を見てみようと告げる。
寺から血のあとを辿ってNespresso Pixie Clips咖啡機みたところ、
大きな古だぬきが猟師の矢を受けて倒れていた。

学問と修行を積んでいた和尚であったが、
化け物に手もなく騙(だま)され、
一方の猟師は学問はなかったが、妖(あや)しのものを見破り、危険を脱することができた」
我々の、教養というものは、ことによると、
このような「化け物」にあやつられる道具に過ぎないのかもしれない。



などと言えば

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何ともおどろおどろしい響きがある。
人間の理解を超える、奇怪で異常な存在として、
また、不可思議な力を持つ非日常的な存在として、
世界中、至る所で何らかの伝説や伝承がある。


西洋の妖怪を分析してみると大きく4つに大別できる。
ギリシャ、ローマ(ヘレニズム系)、ゲルマン(北欧系)、
ケルト(ドルイド教)、ヘブライ(ユダヤ・キリスト教)
として、その起源で分類で數學教室きる。
妖怪と言っても、ジークリフトと対峙するファフニールや
ケルト伝説のように、深い森でひっそりと生きている妖怪もいる。
だけども、
ヨーロッパのキリスト教圏が拡大する中で、
それらが持つ善悪の二元論的発想の中に組み込まれ、
すべての妖怪が悪魔として規定されてしまったようなところがある。
そして、そのことにより、
妖怪は、不本意ながら悪魔の領土に放擲(ほうてき)されてしまった。

その点、日本の妖怪は悪魔的な存在もあるが、一概に悪魔とは規定されない。
むしろ、人間的な香りのする妖怪や
憎めない何とも弱々しい妖怪も存在する。
室町時代の書かれた百鬼夜行絵巻(ひゃっきやぎょうえまき)には、
数多くの妖怪が描かれている老年黃斑病變が、
これらを見ると、悪魔的というよりは、「業」を
背負ってしまった存在とみる事ができる。

「妖怪」を英語で表現すると"Monster"となる。
"Monster"のイメージが昔と比べれば、大きく様変わりをした。
その転換点となったのが、"ポケットモンスター"
いわゆるポケモン 。
この存在により、"Monster"は、
悪魔的イメージから愛嬌ある存在へと劇的に変化させたことになる。

そんなことを思ってみると、
長い間、善悪二元論の中で、悪役をやらされていた妖怪を
明るいタッチに塗り雪纖瘦替え、
おどろおどろしい「百鬼夜行絵巻」を「ポケモン大行進」へと
大きくイメージチェンジをはかったと言える。




同じものだが呼び

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赤い色をしているところから、
牡丹が咲く春には、「牡丹餅」と呼び、
萩の花が咲く秋には、「おはぎ」と呼ぶという話もある。また、
粒が残る程度に軽く搗(つ)いた餅であるところから、
「半ごろし」という物騒な名で呼ぶ地方もあるようだ。

今日は、「えびす神社」のお祭りの日。
早朝より西宮えびす神社では、「一番福」の福男を目指して4,500人が、
駆け上った壓力脫髮という。
この商売繁盛の神様とされる「えびす」、
基本的には同じ神様を意味しているのだが、
えびす神社は全国に点在していて、
「夷」「戎」「胡」「蛭子」「恵比須」「恵比寿」「恵美須」「恵毘須」
などの名が宛てられる。
えびす神社や牡丹餅に限らず、
同じものでも呼び名が違ったり、漢字が違っている事も多い。

実際に、そのことによって多少のニュアンスが違ったりする場合もある。
今日、1月10日は、国際連合の最初の総会が開かれた記念日だそうだ。

日本では、今の国連(=英語名The United Nations)を
「国際連合」 と呼ん優纖美容でいるが、
第二次大戦中、日独伊の枢軸国と戦った「連合国」も、
英語では、"The United Nations" である。

日本では、「連合国」とは違う組織として認識しているが、
中国語では、かつての「連合国」も現在の「国連」も
どちらも「聯合國(れんごうこく)」と呼んで、
同一のものと考えているようだ。

かつて、日本が国連の常任理事国の仲間入りをするような動きがあったときに、
いち早く反対を表明したのが中国だった。
それは、元枢軸国だった国(日本)が、「聯合國」の常任理事なんて、
チャンチャラおかしいというのが言い分だったようだ。

「ぼた餅」と「おはぎ」は、呼び名が違っても同じものだが、
「国際連合」と「聯合國」。
同じ組織だが、呼びPretty renew 美容名の違いの中に認識の違いがあるようだ。



ハヤカワファンタ

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マニアックな回想……

「週刊少年ジャンプの暗黒時代」というものが
かつて存在したという。
1996年
「ドラゴンボール、スラムダンク、幽遊白書」
の人気作品3本が続けて連載終了、
発行部数が大きく落ち込んだのだという。

あ、その時期……
そういえば私もジャンプを読まなくなった。
連載終了した作品のファンだったわけではなく、
「るろうに剣心」「地獄先生ぬ~べ~」
を主な目当てに読んでいた。
新連載「封神演義」の絵柄や太公望のキャラに魅かれ始め、
真っ先に目をとおす作品になっていたけれど、
きれいな描線の達者な絵による「残酷描写」におそれをなして
「少年サンデー&名探偵コナン」の
ライトな作風に乗りかえた。

そうか、あの頃、ジャンプは看板作品をなくして苦戦中。
新人作家さんには、重圧がかかる大変な時代だったね……

で、私が少年ジャンプを読まなくなって間もなく、
すれ違いのタイミングで
「遊戯王」の新連載が始まったのか……なるほど。
道理で、1話目からまったく記憶にない作品でした……
もし1話目を読んでいたら、
「遊戯王」のファンになって、コナンは読まなかったかも。
だって古代エジプトの秘宝パズルだし、
手塚治虫「三つ目が通る」を思わせる作風だし、
1話ずつ独立して読める物語だし、
きっと注目したと思うんだよね……
ま、だからどうってことも、ないのだけれど。
そうか、あのとき……

もし「遊戯王」にはまって遊んでいたら、
自分のファンタジーを試作したり、同人誌を作ったり、
の地道な活動には向かわないで、
カード集めして喜んでたりして……(汗×汗)
それはそれで、my暗黒時代だったかも……

で、今頃になって漫画「封神演義」に
ちょっと興味がでてきた。
あの「残酷な展開」の後には、
少年漫画らしい太公望の活躍が
待っていたのか……そうか。そうだったのか。
つい、ネットでネタバレあらすじを拾い読み。
なんだか面白そうな伝奇物語ではありませんか。

あれかな、
「イルスの竪琴3部作」みたいな展開かな。
歴史には描かれず、暗黒時代を旅する
年経た風の魔法使い……
わ~好きだな、そういうの。
「イルスの竪琴3部作」、ジー文庫。
引っ越しのダンボールのどこかに埋もれているはず。
とっても緻密なハイファンタジーで、
脇明子さんの訳文も良かったな。
「星を帯びし者」
「海と炎の娘」
「風の竪琴弾き」
そういえば、また読んでみたいかも……






りするつもりだったけど

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 今週からまた片道1時間半の病院通いを余儀なくされることになった。といってもわたしは元気。元気で暇だからこその使命なのだ。なので、自由気ままに過ごせる今日は、雨だし家で思い切りのん醫學美容びりしようとテレビの前に陣取り、huluで「ホワイトカラー」を見まくった。……、さすがに4話(4時間)で、目と腰が疲れて降参。TVのスイッチを消した時にシンと訪れる静寂の瞬間がたまらなく好きだ。やっぱり静かな方がいい。

 別ブログで7月から参加していた題詠10首の締め切りが明日だ。まだ10首できていないし、今月は参加しない気もしている。いろいろやってみるけれど、ひとりでワクワク感を維持する、あるいはリフレッシュし続けるのは難しいというかなんというか、まあ、上手く言おうとしてないので結論はないHKUE 認可性けど、ちょっと寂しい今日このごろである。


 明日、外に出れば詠めるかな。


 同じひとつの特徴(ブログ)を取り上げても、それを好きと言う人皇室纖形 facialがいれば嫌いと言う人もいるというのが世の中で、後者の方を向いてしまうと自己否定せずにはいられなくなり、大変しんどい思いをする。中には否定してくる相手に立ち向かい、論破へ闘志を燃やす人もいるだろうけれど、そんなパワーは微塵も持っていない。打たれ弱さには自信がある。

 そういうわたしにとって、心地よくいられる方向を思い出させてくれる人の存在は大変ありがたい。「あなたの良さはこういうところである」というそれが、たとえものすごい買いかぶりであるとしても、それを自らの目標として、さらにブログる明るい明日を目指そうではないか! なんてね。

 どうか買いかぶってやってください。←なんか違う。





ヌーボーの予約を見

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解禁日は、11月の第3週の木曜日となっているが、
節分の「巻き寿司の丸かぶり」のように、
いつの間にやら、日本の年中行事のようになっている。

この習慣は、フランスでもそれほどの歴史がない。
なにしろ、ボジョレ・ワイン自体がパリ辺りで知られreenex 效果るようになったのは、
いわゆるアプレ・ゲールと呼ばれる第一次世界大戦以後だと言われている。

その頃の評判は「安ワインの中で最上のもの」という奇妙な形容が成されていた。
出来の良い年には15度以上のアルコ皇室纖形 旺角ール量となり、
酔えるワインでもあった。
若くして飲むワインで、おまけにマセラシオン・カルボニック醸造法、
日本語流に言えば『炭酸浸漬法』と呼ばれる製法を得てから、
商売っけを出して、どこよりも早く市中に出回るワインとなった。
そうなってからがスゴい。
フランス、イギリス、アメリカ、そして日本へと伝播。
その勢いのまま韓国、中国が消費を伸ばしている。

何でも、かんでも、年中行Dream beauty pro 脫毛事に組み込まれるようになったら、
お商売としてはありがたい。

「♪酒が呑めるぞ」と歌う歌がヒットしたことがあった。
調べると、1979年12月リリースとあり、72万枚も売れている。
正式なタイトルは『日本全国酒飲み音頭』。
歌詞は、「1月は、正月で酒が呑めるぞ、2月は、豆まきで酒が呑めるぞ、
3月は、ひな祭りで酒が呑めるぞ、、」
と歌う単純なもの。
現在、歌われるとすれば、
11月は、このボジョレ・ヌーボーが歌詞に入ることだろう。

解禁日までは、まだ日数を要する。
それまでの間、すなわち、
今ごろから10月にかけては、ドイツのビール・フェスティバルである
『オクトーバーフェスト』が日本国中を駆け巡っている。

これも、いつの間にやら年中行事に組み入れられている。
今の日本、「♪酒が呑めるぞ」の歌詞10月の部は、コイツが入る?




言い得て妙だ

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やむをえず、人をあやめてしまった人の苦悩。
子供を亡くした人の苦痛。
夫に裏切られた人の悲しみ。
隠れて借金をせざるをえなくなった人の事情。
家族間における、積もり積もった鬱積。
恋人に裏切られた恨み。
人間関係の陰惨な縺れ(もつれ)。

映画や小説、ドラマのテーマとしては、取り上げられ繰り広げられているが、
実生活にそういうことを抱えている渦中の人は、リアルなテーマからは目をそらすだろう。

深すぎる悩みには、もはや自分では解決できないこともあるし、
こころの病気にも発展しかねないし、
一人で苦しまないで、専門家の手を借りて対処されるのも突破口となるだろう。


そんな大きくない、誰にでもある日常のこころの悩み
そういったものは、生活の一部であって、取り除くことはできないと思う。
人が人として生活している限り、大なり小なり、誰もが抱えるものだ。

悶々と出口のない悩みに振り回され、
自分を見つめ直し過ぎて、かえって自分を見失うこともある。
同じ悩みを持ち、苦悩を分かち合える人と接し、痛みを和らげ合う、
克服した人の経験を参考に、解決の見本とする。
それも、いいだろう。

自分の悩みにどう立ち向かうか?

私の場合は、書籍、書物だった。
多くの素晴らしい人々が、なんの紹介もアポも、手土産も要らず、
解決のノウハウを教えてくれる。
読み手側の理解が遅くても、即座の反応も答えも要求されない。
書物は、いつまでも、じっと待ってくれる。
そのうち、忘れちゃったりする。

私のブログをご覧になる方は、大きな悩みは抱えておられないように思う。
シリアスな状況の人は、何も手につかないことが多いし、
小さなトゲがささった人は、私のブログは逆効果かも。

人間には多少の毒を持っていないと、毒に対処できない。
抗体みたいなものだ。
少しの毒は、ぴりっとするが、攻撃性のある毒は困る。


西洋医学に頼り切らず、漢方など、東洋で永く用いられている癒しの処方、
治癒能力を自分の力で培うのもアリかな、と最近は思う。

音楽や、好きなことに没頭したり、そうやって、こころの洗濯をする。
再生に向けて、自助努力をあれこれ試みる。