経済協力開

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BLI(Better Life Index=より良い暮らし指標)なるモノを
発表し始めた。
いわゆる幸福度を測る指標。
その指標には、調査項目が幾つかあり、総合的に評価して順位が決定される。
22日に発表された所釜山自由行によると、
日本は36カ国中21位だったそうだ。
トップは昨年に続きオーストラリア。ノルウェー、アメリカと続いた。

そう言えば、新興国が経済発展し、
さぞや、その国は豊かになっただろうと思っているが、
インドなどには、豊かになってはいないと、否定的な意見が多いとも言われる。
急速度に経済が発展しているのに、
否定的な意見が多いのは、何か奇異な感じがする。
そのことは、いつの間にか、我々は経済発展が豊かさをもたらすという
固定観念を「常識」として身につけてしまっていることに起因しているようだ。

ふと、小泉八雲 (ラフカディオ・ハーン) の小説
『常識』を思い浮かべてしまった。
その小説のあらすじを花東旅遊紹介すると、

「ある寺の和尚のところに夜な夜な普賢菩薩(ふげんぼさつ) が姿を現すという。
それを聞いて、和尚と親しい猟師が訪ねる。
毎晩、和尚と一緒に菩薩を迎えているという寺の小僧の言葉に、かえって、
疑問を抱く。
その夜、猟師が和尚たちとともにいたところ、
燦然(さんぜん)と光り輝く普賢菩薩が姿をあらわした。
圧倒されるばかりの威光があたりを包む。
突然、猟師が立ち上がり菩薩に矢を射掛けた。
その瞬間、悲鳴とともに光も菩薩の姿も消えた。
和尚は半狂乱になって猟師を罵(ののし)る。
そこで、猟師は訥々(とつとつ) と語りはじめた。
「徳の高い和尚が仏を見ることが出来るのはわかる。
ところが、小僧や殺生を生業とする猟師の自分にまで姿が見えるとはおかしい。
仏を騙(かた)り、和尚の生命を狙った化け物の仕業ではないか。」
と言って和尚を諫(いさ)め、翌日様子を見てみようと告げる。
寺から血のあとを辿ってNespresso Pixie Clips咖啡機みたところ、
大きな古だぬきが猟師の矢を受けて倒れていた。

学問と修行を積んでいた和尚であったが、
化け物に手もなく騙(だま)され、
一方の猟師は学問はなかったが、妖(あや)しのものを見破り、危険を脱することができた」
我々の、教養というものは、ことによると、
このような「化け物」にあやつられる道具に過ぎないのかもしれない。



などと言えば

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何ともおどろおどろしい響きがある。
人間の理解を超える、奇怪で異常な存在として、
また、不可思議な力を持つ非日常的な存在として、
世界中、至る所で何らかの伝説や伝承がある。


西洋の妖怪を分析してみると大きく4つに大別できる。
ギリシャ、ローマ(ヘレニズム系)、ゲルマン(北欧系)、
ケルト(ドルイド教)、ヘブライ(ユダヤ・キリスト教)
として、その起源で分類で數學教室きる。
妖怪と言っても、ジークリフトと対峙するファフニールや
ケルト伝説のように、深い森でひっそりと生きている妖怪もいる。
だけども、
ヨーロッパのキリスト教圏が拡大する中で、
それらが持つ善悪の二元論的発想の中に組み込まれ、
すべての妖怪が悪魔として規定されてしまったようなところがある。
そして、そのことにより、
妖怪は、不本意ながら悪魔の領土に放擲(ほうてき)されてしまった。

その点、日本の妖怪は悪魔的な存在もあるが、一概に悪魔とは規定されない。
むしろ、人間的な香りのする妖怪や
憎めない何とも弱々しい妖怪も存在する。
室町時代の書かれた百鬼夜行絵巻(ひゃっきやぎょうえまき)には、
数多くの妖怪が描かれている老年黃斑病變が、
これらを見ると、悪魔的というよりは、「業」を
背負ってしまった存在とみる事ができる。

「妖怪」を英語で表現すると"Monster"となる。
"Monster"のイメージが昔と比べれば、大きく様変わりをした。
その転換点となったのが、"ポケットモンスター"
いわゆるポケモン 。
この存在により、"Monster"は、
悪魔的イメージから愛嬌ある存在へと劇的に変化させたことになる。

そんなことを思ってみると、
長い間、善悪二元論の中で、悪役をやらされていた妖怪を
明るいタッチに塗り雪纖瘦替え、
おどろおどろしい「百鬼夜行絵巻」を「ポケモン大行進」へと
大きくイメージチェンジをはかったと言える。




同じものだが呼び

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赤い色をしているところから、
牡丹が咲く春には、「牡丹餅」と呼び、
萩の花が咲く秋には、「おはぎ」と呼ぶという話もある。また、
粒が残る程度に軽く搗(つ)いた餅であるところから、
「半ごろし」という物騒な名で呼ぶ地方もあるようだ。

今日は、「えびす神社」のお祭りの日。
早朝より西宮えびす神社では、「一番福」の福男を目指して4,500人が、
駆け上った壓力脫髮という。
この商売繁盛の神様とされる「えびす」、
基本的には同じ神様を意味しているのだが、
えびす神社は全国に点在していて、
「夷」「戎」「胡」「蛭子」「恵比須」「恵比寿」「恵美須」「恵毘須」
などの名が宛てられる。
えびす神社や牡丹餅に限らず、
同じものでも呼び名が違ったり、漢字が違っている事も多い。

実際に、そのことによって多少のニュアンスが違ったりする場合もある。
今日、1月10日は、国際連合の最初の総会が開かれた記念日だそうだ。

日本では、今の国連(=英語名The United Nations)を
「国際連合」 と呼ん優纖美容でいるが、
第二次大戦中、日独伊の枢軸国と戦った「連合国」も、
英語では、"The United Nations" である。

日本では、「連合国」とは違う組織として認識しているが、
中国語では、かつての「連合国」も現在の「国連」も
どちらも「聯合國(れんごうこく)」と呼んで、
同一のものと考えているようだ。

かつて、日本が国連の常任理事国の仲間入りをするような動きがあったときに、
いち早く反対を表明したのが中国だった。
それは、元枢軸国だった国(日本)が、「聯合國」の常任理事なんて、
チャンチャラおかしいというのが言い分だったようだ。

「ぼた餅」と「おはぎ」は、呼び名が違っても同じものだが、
「国際連合」と「聯合國」。
同じ組織だが、呼びPretty renew 美容名の違いの中に認識の違いがあるようだ。



ハヤカワファンタ

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マニアックな回想……

「週刊少年ジャンプの暗黒時代」というものが
かつて存在したという。
1996年
「ドラゴンボール、スラムダンク、幽遊白書」
の人気作品3本が続けて連載終了、
発行部数が大きく落ち込んだのだという。

あ、その時期……
そういえば私もジャンプを読まなくなった。
連載終了した作品のファンだったわけではなく、
「るろうに剣心」「地獄先生ぬ~べ~」
を主な目当てに読んでいた。
新連載「封神演義」の絵柄や太公望のキャラに魅かれ始め、
真っ先に目をとおす作品になっていたけれど、
きれいな描線の達者な絵による「残酷描写」におそれをなして
「少年サンデー&名探偵コナン」の
ライトな作風に乗りかえた。

そうか、あの頃、ジャンプは看板作品をなくして苦戦中。
新人作家さんには、重圧がかかる大変な時代だったね……

で、私が少年ジャンプを読まなくなって間もなく、
すれ違いのタイミングで
「遊戯王」の新連載が始まったのか……なるほど。
道理で、1話目からまったく記憶にない作品でした……
もし1話目を読んでいたら、
「遊戯王」のファンになって、コナンは読まなかったかも。
だって古代エジプトの秘宝パズルだし、
手塚治虫「三つ目が通る」を思わせる作風だし、
1話ずつ独立して読める物語だし、
きっと注目したと思うんだよね……
ま、だからどうってことも、ないのだけれど。
そうか、あのとき……

もし「遊戯王」にはまって遊んでいたら、
自分のファンタジーを試作したり、同人誌を作ったり、
の地道な活動には向かわないで、
カード集めして喜んでたりして……(汗×汗)
それはそれで、my暗黒時代だったかも……

で、今頃になって漫画「封神演義」に
ちょっと興味がでてきた。
あの「残酷な展開」の後には、
少年漫画らしい太公望の活躍が
待っていたのか……そうか。そうだったのか。
つい、ネットでネタバレあらすじを拾い読み。
なんだか面白そうな伝奇物語ではありませんか。

あれかな、
「イルスの竪琴3部作」みたいな展開かな。
歴史には描かれず、暗黒時代を旅する
年経た風の魔法使い……
わ~好きだな、そういうの。
「イルスの竪琴3部作」、ジー文庫。
引っ越しのダンボールのどこかに埋もれているはず。
とっても緻密なハイファンタジーで、
脇明子さんの訳文も良かったな。
「星を帯びし者」
「海と炎の娘」
「風の竪琴弾き」
そういえば、また読んでみたいかも……






りするつもりだったけど

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 今週からまた片道1時間半の病院通いを余儀なくされることになった。といってもわたしは元気。元気で暇だからこその使命なのだ。なので、自由気ままに過ごせる今日は、雨だし家で思い切りのん醫學美容びりしようとテレビの前に陣取り、huluで「ホワイトカラー」を見まくった。……、さすがに4話(4時間)で、目と腰が疲れて降参。TVのスイッチを消した時にシンと訪れる静寂の瞬間がたまらなく好きだ。やっぱり静かな方がいい。

 別ブログで7月から参加していた題詠10首の締め切りが明日だ。まだ10首できていないし、今月は参加しない気もしている。いろいろやってみるけれど、ひとりでワクワク感を維持する、あるいはリフレッシュし続けるのは難しいというかなんというか、まあ、上手く言おうとしてないので結論はないHKUE 認可性けど、ちょっと寂しい今日このごろである。


 明日、外に出れば詠めるかな。


 同じひとつの特徴(ブログ)を取り上げても、それを好きと言う人皇室纖形 facialがいれば嫌いと言う人もいるというのが世の中で、後者の方を向いてしまうと自己否定せずにはいられなくなり、大変しんどい思いをする。中には否定してくる相手に立ち向かい、論破へ闘志を燃やす人もいるだろうけれど、そんなパワーは微塵も持っていない。打たれ弱さには自信がある。

 そういうわたしにとって、心地よくいられる方向を思い出させてくれる人の存在は大変ありがたい。「あなたの良さはこういうところである」というそれが、たとえものすごい買いかぶりであるとしても、それを自らの目標として、さらにブログる明るい明日を目指そうではないか! なんてね。

 どうか買いかぶってやってください。←なんか違う。





ヌーボーの予約を見

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解禁日は、11月の第3週の木曜日となっているが、
節分の「巻き寿司の丸かぶり」のように、
いつの間にやら、日本の年中行事のようになっている。

この習慣は、フランスでもそれほどの歴史がない。
なにしろ、ボジョレ・ワイン自体がパリ辺りで知られreenex 效果るようになったのは、
いわゆるアプレ・ゲールと呼ばれる第一次世界大戦以後だと言われている。

その頃の評判は「安ワインの中で最上のもの」という奇妙な形容が成されていた。
出来の良い年には15度以上のアルコ皇室纖形 旺角ール量となり、
酔えるワインでもあった。
若くして飲むワインで、おまけにマセラシオン・カルボニック醸造法、
日本語流に言えば『炭酸浸漬法』と呼ばれる製法を得てから、
商売っけを出して、どこよりも早く市中に出回るワインとなった。
そうなってからがスゴい。
フランス、イギリス、アメリカ、そして日本へと伝播。
その勢いのまま韓国、中国が消費を伸ばしている。

何でも、かんでも、年中行Dream beauty pro 脫毛事に組み込まれるようになったら、
お商売としてはありがたい。

「♪酒が呑めるぞ」と歌う歌がヒットしたことがあった。
調べると、1979年12月リリースとあり、72万枚も売れている。
正式なタイトルは『日本全国酒飲み音頭』。
歌詞は、「1月は、正月で酒が呑めるぞ、2月は、豆まきで酒が呑めるぞ、
3月は、ひな祭りで酒が呑めるぞ、、」
と歌う単純なもの。
現在、歌われるとすれば、
11月は、このボジョレ・ヌーボーが歌詞に入ることだろう。

解禁日までは、まだ日数を要する。
それまでの間、すなわち、
今ごろから10月にかけては、ドイツのビール・フェスティバルである
『オクトーバーフェスト』が日本国中を駆け巡っている。

これも、いつの間にやら年中行事に組み入れられている。
今の日本、「♪酒が呑めるぞ」の歌詞10月の部は、コイツが入る?




言い得て妙だ

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やむをえず、人をあやめてしまった人の苦悩。
子供を亡くした人の苦痛。
夫に裏切られた人の悲しみ。
隠れて借金をせざるをえなくなった人の事情。
家族間における、積もり積もった鬱積。
恋人に裏切られた恨み。
人間関係の陰惨な縺れ(もつれ)。

映画や小説、ドラマのテーマとしては、取り上げられ繰り広げられているが、
実生活にそういうことを抱えている渦中の人は、リアルなテーマからは目をそらすだろう。

深すぎる悩みには、もはや自分では解決できないこともあるし、
こころの病気にも発展しかねないし、
一人で苦しまないで、専門家の手を借りて対処されるのも突破口となるだろう。


そんな大きくない、誰にでもある日常のこころの悩み
そういったものは、生活の一部であって、取り除くことはできないと思う。
人が人として生活している限り、大なり小なり、誰もが抱えるものだ。

悶々と出口のない悩みに振り回され、
自分を見つめ直し過ぎて、かえって自分を見失うこともある。
同じ悩みを持ち、苦悩を分かち合える人と接し、痛みを和らげ合う、
克服した人の経験を参考に、解決の見本とする。
それも、いいだろう。

自分の悩みにどう立ち向かうか?

私の場合は、書籍、書物だった。
多くの素晴らしい人々が、なんの紹介もアポも、手土産も要らず、
解決のノウハウを教えてくれる。
読み手側の理解が遅くても、即座の反応も答えも要求されない。
書物は、いつまでも、じっと待ってくれる。
そのうち、忘れちゃったりする。

私のブログをご覧になる方は、大きな悩みは抱えておられないように思う。
シリアスな状況の人は、何も手につかないことが多いし、
小さなトゲがささった人は、私のブログは逆効果かも。

人間には多少の毒を持っていないと、毒に対処できない。
抗体みたいなものだ。
少しの毒は、ぴりっとするが、攻撃性のある毒は困る。


西洋医学に頼り切らず、漢方など、東洋で永く用いられている癒しの処方、
治癒能力を自分の力で培うのもアリかな、と最近は思う。

音楽や、好きなことに没頭したり、そうやって、こころの洗濯をする。
再生に向けて、自助努力をあれこれ試みる。



こころの底には根付い

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もう、何代も前から町で暮らしていると、田舎(地方出身)意識はない。
町流儀、自分たち流儀で、ことを行えばいいが、
田舎は、その地域の風習、慣習、流儀、やり方があり、
その通りでないと、「あのやり方は、間違って鑽石能量水 消委會いる」とかなんとか、非難の的になる。
「ほっといてくれ」というような人は、田舎には住んでいない。とっくに、町に出ている。

町に出られない事情の人は、やむなく田舎に住み続け、自分も嫌だけど無理やり頑張ってやっているんだから、
他の住民や親戚にも、自分と同じような流儀でやらせようとする。
町から、出て行った人は、涼しい顔で、
「よう、やってんなあ、そんな(無意味な疲れる)こと。お金と時間と労力、ご苦労様」みたいに、
自分は逃れられて、部外者になって、その選択は間違って寫字樓搬運なかったように言う。

時代は変わり、インターネットの時代には、流行もデモ情報も、同時に流れる。
価値観も氾濫する。


当地に住んでいない人間が、当地の風習に従わないと、
「こっちに住んでいないからね」と、冷やや願景村 退款かな目で見られる。
当地に住まないのは、気に入らないからだろうと推測される。
その推測は当たっているのだが。
郷に入れば、郷に従え。それが嫌なら、郷に入るな。

住みたくないが、維持もしたい。
ものすごく遠方地なら家を処分するのも、やむをえないだろうが、
そう遠くない場合は、よっぽどのことでもない限り、売ったりしない。
たとえ、売ったとしても、二束三文、市場価値は、雀の涙で、限りなく低い。
先祖代々済み続けていた当家の人たちだけにとって、価値がある土地である。
他人には、なんの値打ちもない。

移民文化の民族には理解できないことだろう。
日本のように、土着農民スピリッツが、まだまだ延々と地方のあちこちには根付いている民、
特に、農民の、農地に対する思いは、重い。
生まれ育った土地を大切にする精神は、次世代である若い世代にも受け継がれている。
(震災で故郷を離れざるをえなかった人々の苦悩は、推して知るべし)

土地だけでなく、家も。
house(ハード面)ではなく、家制度のイエ。
とっくにそういう制度は、民法では廃止、消滅しているものの、
まだまだ長男が跡継ぎで、家督がどうの???と、ているようだ。
たいした家柄ではなくとも、代々、継続させるというだけでも、目に見えない苦労がある。

日系2世や3世の人々は、外地の暮らしをし、外地の言語を話し、
ルーツは日本であるということには違いないが、日本で暮らす日本人とは、一線を画す。
ルーツだけを語り聞かされ外地で育つのと、
実際に、ありありと心物両面、物証が息づき物語る暮らしをするのとでは、臨場感、リアリティ、影響の濃度が違う。





パラパラとサンドイッ

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ラオス?ビエンチャンからは、定員60人ぐらいのプロペラ機。
スリル満点。
あるイタリア系?カップルは、最初から最後まで、女性が、男性に抱きついて、
震えたまま、頭を上げなかった。
いつものことなのか、彼は、彼女を抱えたまんま、上手に種牙本を読んでいたが、
食事はさすがに、無理のようだった。
彼女の頭を抱えたままでは、頭の上に、チの粉やら具やらが落ちては、
ちょっと気が引けるだろうし。

私は????ガタガタ音と共に揺れる機内、抱きつく彼氏もおらず、
出発直前に済ませた(おつとめした)、お盆行事で、覚えたての御経を唱えていた。
お経もこういう時には、役に立つ。(→またもや、バチ当たり)


それはそれとして、
日本の皆にラオスを、もっともっと広く知っていただきたい。
(本日は、余裕なく、かなりの唐突な結びになinvisalignっている???)
忙しい時に、ブログを更新しようという、その心根、
はっきり言って、間違ってます。
あと2分しか時間がありません。

なのに。
更新しようなんて???。
明らかに、厚かましい。

中途半端で、ナメとんか?!と、お叱りを受けそうです。

夏のイレギュラー3部作、その1
お盆行事が本日終了した。
さきほど、婚家から帰宅したばかり。

話せば長いことながら???
今回のお盆は、重かった。
とても、重くて、こんなに短い時間では、
心の整理もできないまま、文字に買樓收租するのは躊躇(ためら)われる。
全部、夏の予定が終了して落ち着いたら、また、したためたいと思う。
自分の心の中の大きな節目になるかも知れない。

他県に住む息子が今夜、婚家に帰ってきた。
お盆だからだろうけれど、律義なお方。
それで、車に乗せて、我が家まで連れて帰ってきた。
明日には、東京の娘も帰省する。
ああ忙し。

ついでのついでに、腰痛発症。
旅行前にまた、
なんで、こんな時に???。




こんなんじゃあ

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逆のパターンはある。
尽くされるほうが、うまくいくことが多い。
尽くしても、相手をつけあがらせるだけだ。
高飛車、大きな態度に出たほうがいい。
(あくまでも、わたしの場合。わたしは、受身でおとな染髮焗油しいので、なめられる傾向がある)

ど演歌の歌詞で、「尽くして、捨てられて」「いまでも、あなたを愛してる」「あなたを忘れない、忘れられない」
などというのがあるが、
あれは、男性が幻想、幻影を抱いて、実際にはありえないことをわかって、確信犯で作詞しているのだろう。
そんな女性は、見たこともないし、知っている人にはひとりもいない。
男性のほうが、いつまでも、女々しく、捨てられ銅鑼灣 髮型屋た女性のことをぐじゅぐじゅ思い続ける。
たいがい、堪忍袋の尾が切れて、男性を捨てるのは、女性だから。
女性は、見切りが早い。だめなものは、だめ。あんた、だめ。はい、次。
もちろん、男性に捨てられる女性もいるが、、捨てられても仕方ないというパターンが多い。


で、どんどん話は、それているが???

つまり、見かけが少々気に入らなくても、上記の条件を満たしていると、付き合うということだ。
付き合うイコール好きになる、とは、また違ips 整容うのだが。

見かけがよくない、見かけのせいで、異性にモテない人は、中身や行動で、頑張る。
(才能があっても努力しないと大成しないが、そこそこの資質でも、熱意と努力で、花を咲かせるのと同じ)
なので、付き合うと、見かけがいい人より、ずっと努力家である。
ワケありセールで、本来は高価なのだが、割安で出ている、蚤の市で見つけた高級品みたいなかんじで、気に入れば、お得だ。


知らず知らずのうちに、自分が不幸にならないタイプを選んでいる。

あ、関係ないけれど、
わたしより歌が下手な人でもオッケー。(わたしも、かなりオンチだが)

どちらかというと、スポーツ選手や芸能人より、
政治家や実業家、コメンテイター、記者、作家、教授系のほうが好き。
芸術系や哲学系、クリエーター系は、オプション。

どうぞご勝手に!と言われそうだ。

夫にする人は、自分より能力が上の人を望んだ。
子供への遺伝子も考えた。
夫選びの基準にも、わたしのサボり精神、手抜き根性が色濃く現れている。


わたしの親の世代は、頑張り世代だ。
戦前派、戦中派が多いと思う。
なので、とても忍耐強く、よく働く。そして厳しい。
そんな親と比べると、一世代若い我々は、頑張りが劣る。
なので、夫は、わたしの父親に比べると、劣る。
わたしは、夫の母親に比べると劣る。
まあ、しかたない。
どっちも、そんな立派な親と比べて、配偶者に幻滅したりしても、しかたない。
自分が、甘いんだから。
甘く育つことができて、時代に感謝しなければ。