やめてしまうこ

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使える金額に制限があるとすると、使う金額を、制限枠に合わせる。
自分で、日頃はしないけれど、ちょっ小一奧數練習題目と贅沢かな、と思うようなことを、やってみる。
こころが、贅沢気分になる、擬似贅沢もありかと。

自分が作った、世界にひとつだけのオリジナル茶碗で、食事をするとか、
自分で糸を紡いで織り上げたものや、手作りで染めた生地で、手作りの洋服を楽しむとか、
手作り酵母パンだの、手作りの肥料で育てた有機野菜だの、
手作り旅行だの、手作りパソコンだ蔡加讚の、手作り自動車だの手作り飛行機だの(このあたりは、規制があって無理)
なんでもいいから、好きなことに、好きなだけ時間をかけられるのも、贅沢だ。
なんにも、他のことは気にかけずに、好きなだけ読書するというのも、贅沢な時間。


贅沢に育った人は、慎ましやかに暮ら王穎す生活に不満を抱く。
贅沢に慣れきっている人は、贅沢が出来ないと、苦痛である。

お金では換えられない贅沢が、わたしの理想の贅沢だ。
こころの自由、時間の自由、こんな贅沢なものはない。
ただし、自由にできるお金がまったくないとすると、
その状態で無からやりたいことを考え出すのは、やる気の問題がある。
活動費ゼロで、やる気が起こるかどうか?
手作りしにても、少なくとも材料費の実費ぐらいは、必要である。
レッスン料や、交通費も。
話がだんだん、現実味を帯びてきた。

ちなみに、
わたしがやりたいことは、自分では全部できないので、人の力を借りることになる。
マンパワー費用は、けっこう高くつく。
ざっと計算して、そんなに高くつくなら、人を雇わず自分でしよう、となり、
自分でするには、カラダや時間が足りない、となり、
次第に、縮小、やがては、とになりかねない。

やはり、贅沢とは・・・
資金を稼ぎ出す能力に伴うべきである、と考える。
どんちゃん騒ぎをするにしても、家業や仕事の面でもピーク、体力も気力もピーク、
贅沢をするにも、エネルギーがいるということだ。


「こころの贅沢」という別カテゴリーを自分で確立して、
悦に入るのが、自分仕様・贅沢で、
比較的イージーに手に入れやすい幸せである。